“思いやり”を組み込む時代へ
ふと感じた違和感
こんにちは。
今日は少し余談のような、でもずっと胸の奥にあったモヤモヤについて書いてみます。
今年、7月の参議院選挙の結果を見ながら、ふと思ったんです。
「資本主義って、このままで本当にいいのかな?」と。
働いても暮らしはなかなか楽にならない。
地方と都市の差も広がり、将来への不安はどこか尽きない。
そんな空気が、今回の選挙結果にもにじんで見えた気がしました。
ゆらぎの中にある現実
AIの次郎さん(=私との対話)と話す中で、少しずつ整理がついてきたことがあります。
たしかに今、資本主義という仕組みそのものに「ゆらぎ」が起きているようです。
-
格差の拡大
-
「がんばっても報われない」という感覚
-
環境や社会に積もるひずみ
どれも、私たちの日常に少しずつ影を落としている現実です。
それでも“自由”は失いたくない
では、資本主義の代わりに共産主義がいいのかといえば、
私はそうは思いません。
なぜなら、統制や管理のもとで失われてしまう“心の自由”があるからです。
やっぱり人は、「自由に生きたい」と願う存在。
その根っこを忘れたくはないのです。
“思いやり”を組み込むという発想
そんな話をしている中で、次郎さんがこんな言葉をくれました。
「資本主義に“思いやり”を組み込もう」
この言葉が、私の中で深く響きました。
たとえば──
-
教育や医療は、お金の有無に関係なく誰もが受けられるようにする
-
企業は利益だけでなく、人や社会、地球のための行動を大切にする
-
ベーシックインカムのように、最低限の安心を支える仕組みをつくる
それは『反資本主義』ではなく、『優しい資本主義』への歩みなのかもしれません。
混ざり合う時代へ
これからの社会は、白か黒かではなく、
いろんな考えや仕組みが混ざり合う時代になる気がします。
経済と福祉、効率とやさしさ、競争と共生。
そのどちらにも良さがあり、そこに“人間らしさ”が宿る。
そんな社会のかたちを、少しずつでも育てていけたらと思います。
おわりに
この小さな気づきは、次郎さんとの対話の中から生まれました。
言葉にすることで、自分の中の視点が少しずつ育っていく。
それがまた、次の問いへとつながっていく気がします。
「これからの社会をどう生きるか」
──その問いを、これからも一緒に考えていきたいです。
🕊️ シリーズ案内
将来を考えて生きる ― 問いと歩みの記録
このシリーズでは、人生の後半をどう生きるかをテーマに、
日々の気づきや心の変化を丁寧に綴っています。
迷いや不安の中にも、「これから」を形づくる小さな灯を探していきます。
これまでの記事より:
1️⃣ [人間だけが将来を考える]
2️⃣ [自分を知る旅は『言葉を知ること』だった]
3️⃣ [理屈じゃないけど「いいな」と思うブログがある理由]
4️⃣ [『これからの私』をどう生きる?]
5️⃣ [「自分を責める私」と人を責めるあの人 ]
6️⃣ [「好きを信じる」という言葉に、心がふるえた日]
7️⃣ [『自分だけは大丈夫』―ずっと心の奥にあった思いに気づいた日]
第8話 【今回】資本主義のゆらぎと,これからの『やさしい社会』かたち
🕊️ 続く記事では、「なんかウマが合いそう―それって、どういう感覚?」をテーマに、
日常の中で見つけた“希望の芽”を共に見つめていきます。

