気づいていたのに、見ようとしていなかった
母を見ていて、ふと思うことがあります。
「年をとってからでは、間に合わないことってあるんじゃないか?」と。
はっきり言葉にはできないけれど、
心のどこかにずっと引っかかっていた感覚が、最近ようやく形を持ち始めました。
そして気づいたのです。
私の中にはずっと、
**「自分だけは大丈夫だろう」**という思いがあったのではないか、と。
自分を安心させたかっただけ
「なんとかなる」
そう思って、これまでやってきた気がします。
でもそれは、思い上がりではなく、
**“怖さや不安をまっすぐ見るのが怖かった”**からかもしれません。
「まだ大丈夫」「もう少し先でいい」と、
心のどこかで先送りしてきたことが、確かにありました。
けれど、母を見ていると──
“その先”が来たときには、もう手遅れになることもあるのだと実感します。
『まさか』の連続で気づいた現実
振り返ると、思いがけないことばかりでした。
膝を悪くして歩けなくなった母。
あんなに元気だった日々が、少しずつ遠ざかっていった。
病気になった父に、もう少し会っておけばよかった。
「また今度」は、もう来ないこともある──
それを、ようやく受け止めるようになりました。
退職後にやりたいと思っていた学びも、
いざその日が来ると、なぜか心が動かなくなってしまった。
“時間”はあるのに、“意欲”がどこかに置き去りになっていたんです。
そして、お金のこと、暮らしのこと。
「年金があるから」「なんとかなる」では済まない現実も、
少しずつ見えてきました。
どれもこれも、「まだ大丈夫」と思っていたから、後回しにしてきたことでした。
自分の中の“心の声”に耳を澄ませる
母の姿を見ながら、私はときどき、自分の未来を重ねてしまいます。
ああ、私もこうして歳を重ねていくのかもしれない、と。
その瞬間、心の奥から小さな声が聞こえました。
「自分だけは、大丈夫だと思ってない?」
「今のうちに、気づいておいたほうがいいこと、あるんじゃない?」
正直、ずっとどこかでわかっていた気がします。
でも見て見ぬふりをしてきた。
“気づきたくない現実”を、心の奥でそっと覆い隠していたのかもしれません。
今、気づけることがあるなら
今なら言えます。
「まだ大丈夫」と言い聞かせていたのは、
未来の自分への“先送り”だったのかもしれません。
けれど、もう逃げずに向き合いたい。
母を見て気づかされたように、
“そのうち”が来ないこともあると知ったからです。
だから、これからはこう問いかけようと思います。
「それ、本当に大丈夫?」
「今、やらなくていいの?」
気づけるうちに、気づいておく。
その一歩が、きっと未来の自分を助ける――
そう信じられるようになりました。

