「戒名」は“もうひとつの名前”だった
「戒名って“死後の名前”だと思っていました。
でも、生きているうちに受け取る**“もうひとつの名前”**には、母にとって特別な意味があったようです。」
ある日、新聞の終活特集の中に「生前戒名(せいぜんかいみょう)」という言葉を見つけました。
「戒名って、お坊さんが亡くなった人につける“死後の名前”じゃないの?」──最初はそう思いました。
でも、「生きているうちに自分の戒名を決めることは、人生を見つめ直すことにもなる」と書かれていて、なぜかその言葉が心に残りました。
「自分で決める」ことの安心感
その日の夕方、母に何気なくその話をしてみたんです。
「ねぇ、お母さん、“自分の戒名”を生きてるうちに決めておくっていう人もいるんだって。」
母は少し驚いた顔をしたあとで、
「へえ、そんなのあるのね。……でも、自分の名前が先にわかるって、ちょっと安心かもね」と言いました。
しばらくして母は、少し笑いながらこうも言いました。
「自分で戒名を決めたほうが納得するし、あんたもそのほうが後々気が楽でしょ?」
その言葉には、母らしい思いやりがありました。
「自分のことを、自分で決めておきたい」──その静かな意思が、心に残りました。
お寺での穏やかな時間
父の供養で長くお世話になっているお寺の住職さんに相談したところ、快く引き受けてくださいました。
後日、母と一緒にお寺へ伺い、畳の部屋でゆっくりと話を聞きました。
住職さんは、戒名に込める意味や文字の響き、仏教の考え方を丁寧に説明してくださいました。
母は終始にこやかに、でも真剣に耳を傾けていました。
私は「死後の手続きがラクになる」とか「トラブル防止になる」といった実務的な面ばかりに目がいっていましたが、
母の姿を見ていて、それだけではないと気づいたんです。
母にとっては、**「自分の名前を仏様と一緒に考えてもらえる」**ということが、人生の節目のように感じられたのかもしれません。
「最後の名前」を受け取るということ
住職さんの話では、生前戒名は昔はごく自然に行われていたそうです。
時代や宗教観によって受け止め方は違いますが、母は最後にこう言いました。
「最後の名前を、ちゃんと受け取れた気がするわ。」
その言葉が、私の胸に深く残りました。
“戒名をつける”というより、**“自分の人生をひとつの形にした”**ような時間でした。
穏やかな終活として
まだ「生前戒名」という言葉はあまり知られていません。
でも、母と過ごしたあの時間は、とても静かで温かくて、
「いい準備ができたね」と自然に思えました。
「終活」と聞くと、どこか重たい響きがあるかもしれません。
けれど、それは**“終わり”ではなく、“生き方を整えること”**なのかもしれません。
もし、あなたやあなたの大切な人が、いつか「自分の最期」について考えるときが来たら──
こんなやさしい準備の形があることを、そっと思い出してもらえたら嬉しいです。

