現象の観測
50代で親の介護が始まると、仕事の継続が難しくなる場面がある。
通院の付き添い、急な呼び出し、入退院の手続き。
仕事を続けながら対応できる範囲を超えたとき、介護離職という選択肢が現実になる。
介護離職を選ぶ理由は、怠慢ではない。
家庭の事情としてやむを得ないケースがほとんどだ。
しかし、離職後に再就職や副業を始めようとすると、思ったよりも
評価されないと感じる人が少なくない。
「数年間、家族の介護をしていました」
この事実は尊重される。
だが、収入には直結しないことが多い。
ここで起きているのは、努力不足ではなく、信用の蓄積場所の問題のように見える。
なぜ起きるのか(構造)
会社員として働いている間、信用は組織の中に蓄積される。
肩書き、役職、在籍年数。
それらは評価の指標になる。
しかし介護離職によってその場から離れると、
組織内に積まれていた信用レイヤーとの接続が弱くなる。
一方、介護そのものは社会的に価値のある行為だが、
市場で価格化されにくい。
介護期間中の行動は、
多くの場合、履歴として外部に見える形で残らない。
これは時間依存型の働き方に共通する。
会社に属して動いている間は評価される。
止まれば、評価は止まる。
つまり、これは
止まるとゼロになる構造に近い。
介護離職は、収入が止まるだけでなく、
外部から見える信用も一時的に止まりやすい構造に入る。
平面と立体の違い
ここでも平面と立体の対比が見えてくる。
平面とは、
その場で動いている限り評価される構造。
会社内の評価や、案件ベースの副業は、
多くが平面構造に近い。
止まると、関係は途切れやすい。
立体とは、
履歴として残る構造。
例えば、
・介護の経験を記録として残す
・介護と仕事の両立の過程を発信する
・コミュニティ内で観測を共有する
これらは、即座に収入にはならないかもしれない。
しかし履歴として積み上がる。
履歴は信用レイヤーに接続されやすい。
平面では、
離職=評価の停止。
立体では、
離職中の行動も構造の一部として残る。
どちらが正しいという話ではなく、
信用の残り方が違うという観測である。
立ち位置に回収
介護離職後も収入を回復できる人には、ある共通点が見える。
資格やスキルの有無だけではない。
介護期間中も、自分の立ち位置を完全に失っていない。
「会社員」ではなくなっても、
「観測する人」「記録する人」「接続する人」という立場を持ち続けている。
立ち位置が揺れないとは、
肩書きが変わらないことではない。
構造の中で、自分がどこに立っているかを自覚していることだ。
平面構造だけに立っていると、
離職した瞬間にゼロになる。
立体構造に少しでも接続していれば、
履歴として残る構造に入る。
介護と収入は対立するもののように見えるが、
立ち位置次第で構造は変わるかもしれない。
結論は断定しない
介護離職は今後も増える可能性がある。
高齢化が進む限り、この流れは続くように見える。
問題は、離職そのものではなく、
その間に信用がどこに蓄積しているかのように思える。
止まるとゼロになる構造に立つのか。
履歴として残る構造に立つのか。
どちらが安全とは断定できない。
ただ、構造を知らないまま選択すると、
後から違和感が残るかもしれない。
介護離職は避けられない場合もある。
そのとき、自分はどの立ち位置に立っているのか。
判断は、読者に委ねられている。