現象の観測
親の介護を経験すると、多くのことを学ぶ。
介護保険制度の仕組み、
ケアマネジャーとのやり取り、
デイサービスや訪問介護の使い方。
さらに、家族との関係や生活の調整など、
これまで知らなかった現実に触れることも多い。
実際に介護を経験した人の話を聞くと、
「最初は何も分からなかった」という声をよく聞く。
しかし、数年たつと状況は変わる。
制度の流れが分かる。
サービスの違いが分かる。
生活の中での対応も慣れてくる。
つまり、介護経験は
一種の知識やノウハウとして積み上がっていく。
それにもかかわらず、
この経験が仕事になる例はそれほど多くない。
多くの人は、介護が終わると
その経験を家庭の出来事としてしまい込む。
ここには、何か別の構造があるように見える。
なぜ起きるのか(構造)
介護経験が仕事になりにくい理由の一つは、
価格の構造にある。
仕事として成立するためには、
誰かが対価を支払う必要がある。
しかし介護経験の場合、
情報そのものに価格がつきにくい。
制度の説明であれば、
行政や専門機関の情報がある。
専門的な介護技術であれば、
資格を持つ専門職がいる。
そのため、生活者としての経験は
価値がないわけではないが、
価格として評価されにくい。
もう一つの理由は、信用の構造にある。
介護経験は家庭の中で起きる。
そのため、外からは見えにくい。
どんな経験をしてきたのか、
どんな判断をしてきたのか。
それが履歴として残っていなければ、
第三者からは分かりにくい。
つまり経験はあっても、
信用として認識されにくい。
ここに、仕事になりにくい構造がある。
平面と立体の違い
ここでも平面と立体の違いが見える。
平面構造では、
経験はその場で終わる。
介護をして、
家族を支えて、
生活が落ち着く。
しかし、その経験は記録されない。
時間がたつと、
社会の中では存在しない経験になる。
これは
止まるとゼロになる構造に近い。
一方、立体構造では履歴が残る。
介護の経験を記録する。
制度との付き合い方を整理する。
生活の観測として残す。
こうした行動を続けると、
経験は履歴として積み上がる。
履歴が続くと、
それは単なる体験談ではなくなる。
どんな経験をしてきた人なのか。
どんな観測をしてきたのか。
その積み重ねが、
信用として見えるようになる。
立ち位置に回収
介護経験を持つ人は多い。
しかし、その経験を
観測として残す人は多くない。
多くの場合、
介護は家庭の出来事として終わる。
一方で、
経験を記録として残す人もいる。
生活の変化、制度との関係、
家族の中での判断。
そうした観測を続けると、
同じ介護経験でも意味が変わる。
経験そのものではなく、
経験の履歴が見えるようになる。
ここで重要になるのは
立ち位置である。
家庭の出来事として受け止めるのか。
社会の観測として記録するのか。
その違いによって、
介護経験の意味は変わるように見える。
結論は断定しない
介護経験が仕事にならないとは言えない。
実際に、経験を活かして
活動している人もいる。
ただ、多くの場合、
経験だけでは仕事になりにくい。
価格の構造、
信用の構造、
そして履歴の有無。
こうした条件が重なる必要がある。
介護は多くの家庭で起きている出来事でありながら、
その経験は社会の中では見えにくい。
それをどう扱うかは、
その人の立ち位置によって変わる。
家庭の出来事として終わるのか。
観測として残すのか。
その違いが、
介護経験の意味を分けているのかもしれない。
判断は、それぞれの生活の中で
考えることになるのだろう。