現象の観測|なぜか印象に残る人と残らない人がいる
発信を見ていると、
この人はこういう人だと感じる場合と、
何をしている人か分かりにくい場合がある。
内容の良し悪しだけではなく、
なぜか印象に残る人と、
そうでない人がいる。
特別な説明がなくても、
この人はこういう視点で見ている
ということが伝わることもある。
一方で、
丁寧に書かれていても、
どのような考え方なのかが見えにくい場合もある。
この違いはどこから生まれているのか。
立ち位置はどのように見抜かれているのか。
なぜ起きるのか(構造)|人は視点の一貫性を見ている
この違いを見ていくと、
人は「内容」よりも「一貫性」を見ている
ように感じられる。
一つ一つの発信ではなく、
その人がどういう見方をしているのか
を、無意識に読み取っている。
例えば、
同じテーマについて書いていても、
毎回少しずつ違う視点から書かれている場合、
その人の考え方が見えてくる。
一方で、
情報としては正しくても、
視点が感じられない場合、
発信はその場で消えていく。
ここで起きているのは、
人は『何を言っているか』だけでなく、
『どう見ているか』を見ている
という構造である。
平面と立体の違い|情報としての発信と流れとしての発信
平面では、
一つの発信がその場で評価される。
内容が分かりやすいかどうか。
役に立つかどうか。
この場合、
発信は“情報”として扱われる。
一方、立体では、
発信が時間の中でつながる。
過去の発信と現在の発信が重なり、
その人の見方や考え方が
少しずつ浮かび上がってくる。
例えば、
同じテーマでも、
一貫した視点があると、
全体として一つの方向が見える。
ここで見えてくるのは、
立ち位置は説明されなくても、
流れの中で見えてしまう
という点である。
立ち位置に回収|立ち位置はにじみ出るもの
では、立ち位置はどのように見抜かれているのか。
ここで一つの視点がある。
それは、
「視点の一貫性があるかどうか」
である。
人は、
すべての発信を細かく見ているわけではない。
しかし、
流れの中で繰り返される考え方や感じ方から、
その人の立ち位置を感じ取っている。
例えば、
何度も同じような視点で語られている場合、
それは一つの軸として見える。
一方で、
その場ごとに視点が変わる場合、
立ち位置は見えにくくなる。
ここで感じるのは、
立ち位置は「見せるもの」ではなく、
「にじみ出るもの」
なのではないか、ということである。
自分で説明しなくても、
積み上げの中で自然と見えてくる。
結論は断定しない|立ち位置はどのように伝わるのか
立ち位置がどのように見抜かれるのかを一つに定めることは難しい。
ただ観測していると、
人は情報そのものよりも、
その人の見方や一貫性を感じ取っている
という傾向が見えてくる。
その中で、
何を言うかだけでなく、
どう見ているか
が積み重なることで、
立ち位置は少しずつ見えてくるのかもしれない。
意図して見せるものではなく、
結果として伝わるものとして。
もう少し、この流れを観測してみたいと思う。
