🕊️ 母の一言に、思わず立ち止まった
「まだ、わたしは美味しく食べられるからいいよね」
母が、何気ない顔でそう言ったとき、
私は思わず言葉を失いました。
できなくなったことは、確かに増えている。
でも母は、それを数えない。
代わりに、「いま、できていること」を見ている。
その姿勢に、
強さと同時に、やさしさを感じました。
そして、ふと考えたのです。
美味しく食べられることって、
人生の幸せの何割を占めているんだろう?
🌾 「美味しい」と感じる心は、生きている証
食べることは、
ただお腹を満たすための行為ではありません。
「美味しい」と感じる一瞬、
私たちは、身体だけでなく
心まで一緒に動かしています。
味覚は、
身体と心をつなぐ最前線のセンサー。
食べられる。
味わえる。
そして、「おいしい」と言える。
その小さな喜びの中に、
「まだ生きている」という確かな感覚が
静かに息づいています。
🍀 感謝や希望は、こうして残っていく
母の言葉を聞きながら、
私は改めて気づきました。
「美味しい」と感じられる心の中には、
まだ感謝があり、
まだ希望が残っている。
大きな夢じゃなくていい。
先の予定がなくてもいい。
今日のごはんを
「美味しい」と言えること。
それ自体が、生きる力なのかもしれません。
🍵 食べ方には、生き方がにじむ
母は昔から、
ほとんど好き嫌いがありません。
どんな料理でも、
「これ美味しいね」と言って、
本当に楽しそうに食べます。
その姿を見ていると、
料理の豪華さよりも、
味わう姿勢そのものが、生き方を映している
そんな気がしてきます。
食卓の空気が明るくなるのは、
料理より、母の表情のおかげかもしれません。
💫 要介護になっても、変わらない楽しみ
母は要介護になってからも、
デイサービスの昼食やおやつを
とても楽しみにしています。
帰宅すると、
「今日のお昼ね…」と
メニューを教えてくれる。
そのときの表情は、
昔の元気だった頃と、ほとんど変わりません。
「まだ美味しく食べられるからいいよね」
その言葉が、
少しずつ、私の心にも染み込んできました。
🌱 私自身の食事の見え方が、変わった
思えば、
「美味しく食べられること」ほど、
身近で確かな幸せはないのかもしれません。
食べられるということは、
体がまだ動いているということ。
「美味しい」と感じられるということは、
心がまだ生きているということ。
そう思うようになってから、
私自身も、食事の時間を
ただの習慣ではなく
**「生きる喜びの時間」**として
大切にしたくなりました。
✨ 結びに|人生は、まだ味わえる
美味しく食べられること。
それだけで、生きている喜びがある。
そう感じられるうちは、
人生は、まだまだ味わえる。
母の一言が、
そんな大切なことを
そっと教えてくれました。

